万延元年(1860年)、長州藩の科学者である中嶋治平は、萩の地で硝子製造を開始。
江戸の切り子職人を招いての優れた技術と、萩ならではの水晶石を原料とした透明感のある美しさは、
朝廷からも高い評価を受けていました。
かの高杉晋作・大村益次郎・周布政之助ら志士たちもそれぞれに「萩切り子グラス」を愛用し、
酒やワインを口にしていたといいます。
しかし萩硝子は施設の焼失・激動の世にまみえわずか数年でついえることになります。
立役者・中島治平の死後は再興されることなく、以後永きにわたって忘れられていました。
150年の時を経た平成の今、
萩ガラス工房は激動の歴史に埋没してしまっていた幻の「萩ガラス」を復活させました。
先駆者・中嶋治平の残した古文書や記録を紐解いて甦った萩ガラスの世界をご覧ください。