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山口県萩市【萩ガラス工房】 >>幕末の萩ガラス物語

万延元年(1860年)、長州藩の科学者である中嶋治平は、萩の地で硝子製造を開始。
江戸の切り子職人を招いての優れた技術と、萩ならではの水晶石を原料とした透明感のある美しさは、
朝廷からも高い評価を受けていました。
かの高杉晋作・大村益次郎・周布政之助ら志士たちもそれぞれに「萩切り子グラス」を愛用し、
酒やワインを口にしていたといいます。
しかし萩硝子は施設の焼失・激動の世にまみえわずか数年でついえることになります。
立役者・中島治平の死後は再興されることなく、以後永きにわたって忘れられていました。

150年の時を経た平成の今、
萩ガラス工房は激動の歴史に埋没してしまっていた幻の「萩ガラス」を復活させました。
先駆者・中嶋治平の残した古文書や記録を紐解いて甦った萩ガラスの世界をご覧ください。


萩城下で、戦国時代より毛利家に仕えてきた長州藩の名家の長男として誕生。
19歳で松下村塾の入塾、ここで生涯の師「吉田松陰」と出会う。
「知識は物事を実践するためにある」という松陰の教えを受け、幕末長州藩を倒幕に方向付けた立役者となる。
士分・百姓・町人を問わず、志ある人々を集めて奇兵隊を結成、幾度の戦いにも勝利をおさめる。
慶応3年、王政復古目前に肺結核のため死去。享年29歳。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と伊藤博文に言わせたほどの素早い行動力の持ち主。
その一方では、三味線や唄をたしなむ風流人であった。

周防国の医師の家に長男として生まれる。一時「村田蔵六」と称する。
蘭学医の出であるが、西洋の兵術などの才能を桂小五郎に買われて軍隊の指揮を任される。
長州征伐と戊辰戦争では長州藩兵を指揮し、長州軍勝利の立役者となった。
明治維新後は、文字通り軍権の全権を担い、軍隊の西洋化をすすめ、日本陸軍の礎を築き近代兵制の基礎を作った。
明治2年、攘夷派による襲撃を受け、その傷がもとで死去。享年46歳。
性格は頭脳明晰で合理的な思想であるが、堅物で人付き合いが得意でなく
反感を買うことも多々あったと言われている。
東京靖国神社に銅像がある。

萩藩大組士68石の周布吉左衛門の五男として生まれる。
藩校明倫館に学び、天保の改革を行った家老・村田清風の路線を継ぎ
財政再建・軍政改革・殖産興業など藩政改革に尽力した。
実直な人柄から人望を集め、尊王攘夷を掲げて藩政の陣頭に立つ。
桂小五郎や高杉晋作ら、吉田松陰の薫陶を受けた若い人材の登用に熱心だった。
一方で酒癖が非常に悪かったとも言われ、多くの舌禍事件を起こし、処分を受けることもしばしばであった。
1864年の禁門の変や第一次長州征伐に際しては、事態の収拾に奔走するが、
藩政の実権を次第に反対派に奪われることになり、その責任を感じ山口矢原で切腹を遂げた。享年42歳。
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